介添えの夢 あとがき
EPIC READINGの第二回、「介添えの夢」が終了した。
この連作朗読劇は-Cleio-のユニットワークである“AGE OF FLAME”を補完する役割を担っている。理想と現実、歴史と世界と人間を描く主篇群の隙間を埋め、叙事詩全体の俯瞰を助けるためである。
“龍”の概念がいかにして生まれたかを語った前作「龍の歌」に対して今回は
“介添え”とは何か、また“龍”とどのような関係にあるのかを物語として書いてみた。
まえがきでも触れたその普遍性、つまり“龍”と“介添え”はいついかなる場所にも存在
するという考え方を証明するために、坂本龍馬と陸奥宗光に対応する者たちを探した
結果、想像以上に良く似た事例を見つけられたことは望外の幸せである。
アレクサンドロスとセレウコス、アルトリウスとメドラウド、ジャンヌ・ダルクと
ジル・ド・レェ。彼らは快くわたしの筆を助けてくれた。そして織田信長と竹千代、
すなわち徳川家康はもともと“AGE OF FLAME 戦国篇”として構想の中に存在していただけに、中島作太郎の顔で登場する羽柴秀吉や、メドラウド及び牧野橘に対応する
明智光秀と共にクライマックスを飾ってくれた。彼らを懸命に演じてくれた-Cleio-の
女優たち、またゲストの演者たちに感謝する次第である。
“龍”たちが象徴するのは理想であり、希望である。彼らの備える強さの本質は、
想像する力であるとわたしは思っている。自己や他者、人類全体、この世界と 宇宙その
もの、ひいては時間の流れ。そのすべてを思いやる力。理解し、共感し、繋げる力である。それは断じてひとびとの間の敵意を煽り、分断を促すようなものではない。断じて、違う。
対して“介添え”たちは人間とその現実の象徴である。未だ弱さと未熟さと愚かさを
背負い、人間の最大の敵である「恐怖」から逃れようとするあまりに却って自己に
囚われ、苦しみ続ける。現実に負けて思考を停止してしまう。時によっては
“龍を殺す者”ともなりえてしまう。しかし同時に彼らは、“龍の遺産”を受け継ぐこともできる。未だに世界に残る龍神伝説の多くは本来、そういったことを語っていたのではないかとわたしは夢想している。
正確に言えば、前作と今作の間にはまだ幾つかのエピソードが存在している。
ひとつは前作の末尾に語られ、地球そのものと溶け合い太古の地母神と化した神龍
アーク・エルダーの残した最後の卵が孵化し、ネアンデルタール人の少年と出逢う
物語である。それはさらに古代メソポタミアの一部族“待つ民”がユーラシアを越えて
日本列島へ向かう伝説へと連なり、ひいては“AGE OF FLAME”の主篇、「龍の巫女」へと繋がることになる。それらは朗読劇もしくは通常の舞台となるか、あるいは小説となるか――まだわたしにもわからない。この不確かな叙事詩の糸を共に追ってくれる方々と、また劇場でお逢い出来ることを願って止まない。
2018年12月23日 「介添えの夢」千秋楽当日
西日暮里キーノート劇場にて
-Cleio-主宰 佐々木 総