十一月のアンドロイド あとがき
EPIC READING三部作がこのほど完結した。常ながら多くの方々の協力を頂いての
ことである。ここに篤く御礼を申し上げたい。これも毎度のことながら極めてハードな日程で創り上げたが、今回は特に大きな問題に突き当たった。それは物語の構想と結末に関するものだった。簡単に言えば、果たしてわたしは「絶望」を描いてよいのだろうかという自らへの問いである。
現在の世界には「絶望」が蔓延している。多くの人々が勝ち誇ったように「現実的な思考」を口にし、理想を放棄している。他者への理解を拒否し、想像と共感を怠って憚らない。まるで望みを棄て、刹那的に生きることで小さな己自身が守れるかのように。そういった醜い世相に対しての反発心がわたしの中には強く存在している。今回の物語のコンセプトはそこから生まれたものだった。言ってしまえば、「人類など滅びればいい」という叫びそのものである。
だが書き進めてゆくうちに気づいた。いま自分に見える世界が醜いからといって、ただそれらを想像の中で滅亡させるだけでは意味があろうはずもない。これまで人間は互いに理解し、許容することによってのみ僅かな歩みを進めて来た。何も遥かな古代に遡らずとも、近現代の歴史を顧みるだけでそれは明らかである。そもそも反発や否定から発した物語とその悲惨な結末はやはり、AGE OF FLAMEには相応しくなかった。それゆえにこの物語は結末を当初から大きく変えた形で上演された。これもまた常ながら、本作は本質的に未完成なエピソードである。人類はアンドロイドと共存できるか。その答えはいまだ、出ない。
何を大袈裟なと笑われるかもしれない。もとより無名の一作家が何を書こうが、世界は変わりはしない。それでもやはりわたしには絶望を歌う権利は無い。それは人類自体も同じだと思う。戦争や差別、不平等、憎悪と悪意と怠慢。それらを克服しない限り、滅亡に身を任せる権利など無い。後を継ぐものが誰であろうと、彼らに託すものを生み出せないうちは、立ち去ることは許されない。書き終えた今、わたしはそう感じている。
今回はこれで筆を置く。御来場くださった観客の皆様に改めて御礼を申し上げたい。次作はシリーズの主篇、幕末の時代へと戻ることになるだろう。
また劇場でお逢い出来れば、これに過ぎる喜びはない。
2019年7月12日
-Cleio-主宰 佐々木 総